第3回 太田川天然遡上プロジェクト

昨年、平成14年6月太田川の鮎漁が至上最悪で始まり、直ちに終わった事で、釣り人、釣具店の店主からどうにかしてくれという、悲鳴に近い言葉が発せられました。
 6月中旬に広島県農林水産部 農水産総室 の漁業調整室室長、水産振興室室長にお会いして、太田川の鮎の実情をお話し、質問状をお渡ししました。一週間もせずに県から連絡があり、丁寧に質問状の一件一件についてお答え頂きました。詳しい内容は、書けませんが、太田川の組合が変わる要因になったかもしれません。
 昭和45年頃まで、太田川漁協は、鮎の卵を受精させ稚魚として巣立つ直前に太田川に放流していた事がありました。それ以後、養殖技術が発達し琵琶湖からの買い付けで、事たりることとなり、今では、まったく行われていませんでした。しかし、今年、平成15年から再開しようと太田川漁協が取り組んでいます。今までのように琵琶湖の鮎に頼っていると、冷水病感染鮎を放流することで、琵琶湖以外の稚鮎にも感染させ、すべての放流鮎の生存率が非常に悪い事が分かったからです。少し分かるのが遅かったですが、取り組みを始めたことは、評価しなければなりません。
 平成15年3月25日太田川漁協の増殖委員会に関係者ということで呼ばれて午前中いっぱいお話しました。冷水病のこと、その対策案が水産庁から各県に、各県から関係漁協に配られているから、極力放流もその指針に従ってください、決してビニールの筒状のものは、使わないようにして、硬質のパイプを使うこと。又、自然に鮎が遡上するプロジェクトを今年からやるようにお願いしました。
 漁協も天然遡上を検討しており、タイミング的には、非常に良かったです。又、放流時期もずらして水温が安定する5月から解禁後の6月中頃までずらす事を提案しました。(本当は、5月20日頃から放流し7月の中頃まで放流するくらいの鮎を確保してもらいたいのですが)
 委員会終了後、委員長が非常に有意義な委員会であったと述べられた事で、反対に私が知っていることぐらいで有意義な会ということは、今までは、とつい思ってしまいました。
 委員会から帰り、今度は、天然遡上の邪魔をしている河口堰を動かすことが必然的に必要になってきたので太田川を管理する国土交通省中国地方整備局太田川工事事務所(現河川事務局)に太田川放水路側の祇園水門を春の遡上時に開けて頂き、秋の放流時にも開けて頂くお願いに行きました。
 運良く、所長さんと副所長さんに会うことができて、鮎の卵から稚魚にして放流するプロジェクトを説明しました。
現状は、太田川放水路と本流と合流にある祇園水門は下側に通常7センチしか開いていません。稚鮎の遡上時と、孵化し川を下る稚魚にも決して通り易いものでは、ありません。まったくの壁になってしまいます。通常卵から孵った稚魚は、お腹に栄養分を持って川を下ります。水面下を下るのです。泳いではいません。だから7センチしか下を開けていなかったらそこで稚魚は、他の魚のエサか、鳥のエサになる事を訴えました。
 また、お腹の栄養分は、2~3日でなくなります。それまでに海に下りプランクトンと出会わなければいけない事も伝えました。その為には、祇園水門を春・秋と開けてほしい事をお願いしたところ、快く了承してくださいました。
只、下流域の内水面漁協の許可を取って下さい。ということでした。
 漁協に報告すると、後は、こちらで了承してもらうとの事、少し肩の荷が下りた気持ちでした。
 今度は、水を浄化し、水質の向上と水量を増やして鮎のエサとなるコケの量を増やすことです。
そのためにも水力発電所に使われる水を少し本流に返してもらう必要がでます。
太田川漁協管轄の中国電力水力発電所の水利権を調べて見ると、30年契約の期限が下記のようになっていました。
安 野  平成33年3月31日
新真平 平成29年3月31日
真 平  平成31年3月31日
太田川 平成30年3月31日
平成が始まった時期に更新している。この時期は、鮎は、いくらでも釣れた時期です。
今は、・・・・
これらの発電所は戦前に朝鮮人を強制的に徴用しトンネルを掘りめぐらせてできている発電所です。
日本の暗い過去を背負ったものです。
堀りめぐられたトンネルのおかげで、効率よく水を外にほとんど出さずに可部の橋下に流れています。
その結果水内川の綺麗な水は、ほとんど友釣り区間を流れず下流で放水されています。
(この事が原因で上流の低水温がそのまま放水口から流れ、その付近に下りてきた鮎が、急に産卵時期を早めて、通常より早くに産卵します。しかし、時期が早いと、海水温も高く、せっかく生まれた稚魚も死滅しているのが現状です)
この現状を少しでも良くしなければと管理する中国電力広島支社へ協力して頂くようお願いに5月16日小網町の電気ビル9階を訪ねました。
10時に用地担当マネージャーと同じく主任の方にお会いし、太田川における鮎の現状を伝えました。
まず第一に水内川の水を本流に流し、少しでも水の浄化に利用したい。
水量的には、下の津伏の堰堤の水の取り組み口で取り込む事ができるので問題は、生じないのではと、お話しました。
 又、5月から11月まで川の幅が、今まで以上に広がるように放水量を増やしてもらえないか、お願いしました。今までの川幅では、石に泥がこびりつき鮎の食べ物となるコケが少なくなっているので、川幅を広くすることで、泥の付いていない石に新コケを付かせ、鮎の食べ物を与える為です。
 1時間後、席を立ったときは、少しは、期待できるかなと思いました。
結果は、10日後会社に来られ言い渡されました。すべて聞き入ることは、出来ない。ということでした。理由は、「他に広がるとこまるので、受け入れできない・水利権を持っているのでこちらに権利がある」ということです。
あの1時間話した事は、まったく無意味だったのです。
水利権の次期交渉は、15年後です。その頃まで鮎は、待ってくれません。今後は、国土交通省からの指導を期待するしかないと思いました。
企業の立場では、経費を払って権利を取得している訳ですから、川が死んでもただで離す訳がないですね。
 近い将来には、太田川で活動する各組合は、一本にまとまると思います。その時には・・・・・・・・・
 でも、早く動かないと鮎の遡上する太田川に戻ることが遅くなるのてすが・・・
 皆さん良い知恵が有れば教えてください。 お願いします。
 救いは、国土交通省太田川工事事務所(現河川事務局)の所長さんが、理解を示して頂いた事です。
今年11月頃、呉市の黒瀬川で取れた純海産(広島産)の受精卵を太田川ゴルフ場近くで放流をします。来年の4月太田川を遡上する稚鮎を期待しましょう。何年か続ければ、自然に沢山の遡上する稚鮎が見られるようになるでしょう。皆さん、期待しましょう。
 私の取り組みは、まだまだ続けます。長い間掛けて悪くなった川ですので時間がかかりますが、一年でも早く回復するよう皆様のご協力をお願い致します。  では、


親鮎放流へ
 10月23日(木)晴れ 絶好の日和の元、太田川 柳と言われる鮎の瀬付き場に於いて、体長25センチに成長した黒瀬川の鮎を放流しました。
漁協関係者、組合員、報道機関の多くの方々が見守る中、漁協の運搬車がやってきました。
組合関係者が運搬車に上がりバケツに水と鮎を入れ組合員・釣り人が協力して手渡しバケツリレーで川まで運びました。皆、鮎よ帰って来いと心で思って一生懸命運んでいました。後は、稚魚が無事、海へ下って又、帰って来るかです。
放流後、10号のナイロン糸を10メートル間隔で、鳥(特に鵜)から親鮎を守る為、川幅一杯張っていました。
もう少し間隔は広くても良いのですが、絶対に守ってやるぞ、という釣り人の気持ちがそうしたのでしょう。

鮎を運んできた漁協の運搬車

バケツリレーの開始

報道機関もこの件に関心を示しています

多くの協力者がいます

右手前方が持ち歩いている水槽にカメラを入れ水中撮影をしていました。

右手が川下になります

小生、来年沢山帰って来いと願いつつ、バケツリレーをお手伝い

・放流場所より30メートル上流でのシーン
写真では、水面が波立っていますが、放流前に太田川の鮎が自然に瀬付きを行っていました。結構大きい鮎も飛び跳ねていて、自然のサイクルを垣間見ました。
(ちなみにこの場所は、全面禁漁になっています)