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2011/11/19に講演した原稿を掲載いたしました

市民フォーラム 太田川水系のアユを考える

於:広島文教女子大学2号館2F

 

釣人・遊漁者からの発言

 

 

財団法人日本釣振興会広島県支部長 太田博文

 

鮎釣りとの関わりは、生業としてのアユの釣りバリ製造において、新形状のハリの開発を目指した事から始まります。先代の社長もまったく鮎釣りをしたことがなく、伝承のアユバリの形状を守る事が、当たり前の時代でした。幼い頃から製造工程を見てきた私が、唯一教えてもらっていないことが、ハリの形状の由来てした。釣具問屋へ配達に行った際、そこの専務さんに鮎釣りを覚えてみたらと、師匠を紹介された事が鮎釣りを始めるきっかけでした。今のようにビデオや釣り雑誌などの情報も少なく、釣人との交流もなかった私が、竿を買って初めて川に入ったのが、25歳になった6月頃です。当時は、作業服に使い古しのワイシャツに麦藁帽子と、滑り止めにフェルトを貼ったアユ足袋が、鮎釣りのファッションでした。7.2mの長竿に0.8号のナイロンラインを付けて、ハナカンとハリス止めを結んだものが仕掛です。当時は、サカサバリという概念がなく、ハリス止めに三本イカリにした仕掛を挿んで止めていました。最初に使ったハリが、矢島型9号です。今では、終盤に使う大きなハリですが、たまたま最初に友釣り用のハリとして造ったハリが、9号サイズだったのです。今で言う水中糸や天上糸という区分は無く、一本のナイロン糸に鳥の羽を使った目印を使っていました。

最初に連れて行ってもらった川が、太田川の支流の水内川でした。地元の郵便局長さんの庭先にあった生簀から囮をもらって麦谷という場所に入りました。初めて見る鮎釣りは、囮にハナカンを通し、瀬の中で泳がし、アユが掛かって竿が大きく曲がったら瀬の下まで下り、ナイロン糸を手繰って掛かり鮎をタモに入れるという、今では考えられないくらい、のんびりとした鮎釣り風景でした。8匹の釣果が、私の初体験のアユ釣りでしたが、師匠は10倍近い数を掛けていました。

当時釣れるアユのサイズは、20cmオーバーが多く、14・5cmのアユは、掛かっても逃がしていました。それだけ数多くのアユが釣れていました。鮎の独特の香りも強く、体全体がヌルヌルとぬめり、ハナカン通しの際、何度も逃がしたものです。

現在のアユと比べてどうでしょうか。私が釣りを始めた頃は、河原に立つと、アユの香りがプーンと漂っていました。しかし、今の河原では、かすかにしか香りません。アユのヌメリも少なく、囮として乱雑に扱うと、ヌメリが無くなり泳がなくなります。

川の環境が変わったのか、アユ自体が変わったのか。釣人の目から見たアユを考えていきたいと思います。

 

 1.アユの釣れる地域

 津軽海峡へ流れる河川で、アユが釣れるという話を聞き、青森県下北半島まで行ったことがあります。

恐山に行く途中のむつ市の釣具屋で聞いたところ、アユは釣れるが、囮がいないので、囮ルアーで釣っているとのことでした。本州最北端の川は、大畑川(オオハタガワ)です。又、日本最北端でアユの釣れる川は、小樽近郊の余市郡余市町を流れる余市川です。【本などで紹介されている天塩川(テシオガワ)は、漁協に問合せたところ、まったくアユはいないとの事でした】以前は、余市のお店から、アユ用品の注文を頂いていました。余市川も、雑誌に紹介され釣人も多く訪れるようになった頃、ゴルフ場開発、工場廃水、河川工事による汚濁で、殆ど鮎釣りが出来なくなったと聞きます。声優の大平透さんも、余市川で鮎釣りの大会を催されていたのですが、諦めざるを得なくなりました。

海外では、朝鮮半島にアユが遡上しています。20106月に韓国のソムジン川に釣行した際、河原の石や雑草が、日本とまったく変わらない風景に驚きました。そして、釣れたアユの姿も、山陰の高津川と変わらない綺麗なアユでした。天然ゆえのパワーある引きに、鮎釣りを堪能しました。韓国の地方自治体の山清郡庁では、今年も大量の発眼卵を放流したそうです。

20115月には、台湾の釣人からの要請で、台湾に出向いて仕掛講習と鮎釣り講習を行いました。仕掛教室用の仕掛道具と共に、鮎釣り道具も持ち込み、川に連れて行っていただきました。台湾も韓国と同様、漁協がありません。台湾では、行政も放流していますが、主には、釣人達がお金を出し合い、自らの手で放流をしています。台湾の中程の台中辺りがアユの南限です。中国大陸では、台湾と対峙する地域でアユの養殖事業が行われており、日本へ輸出していると聞いています。

アユの生息地域は、亜熱帯地域と元北里大学水産学部助教授の鈴木敬二博士は、言われています。

 

2.絶滅した台湾アユの復活

 台湾固有のアユは、1960年前半以降絶滅しました。河川の汚濁と乱獲が原因とされています。鮎は、川の虫とまで言われるように、釣っても釣っても何時までも釣れる魚です。以前の台湾では、海から大量の稚魚の遡上があり、獲れたアユを日本へ輸出していました。しかしその後、工業化による河川の汚濁が海を汚し、アユの仔魚が育つ環境が無くなり、また数少なくなった遡上アユまでも、網や薬で獲りきってしまったのです。現在台湾のアユは、日本の釣人の尽力により見事に復活しています。その過程は、簡単な道程ではありませんでした。最後に成功した方法は、ダム湖に流れる支流にネットを張り、その中に発眼卵を放流するものでした。その放流された発眼卵が孵り、ダム湖で成長し、翌々年支流にその遡上が確認されたのです。

 

3.長良川のアユの復活

 長良川といえば、全国で一番有名なアユの河川です。天然遡上と各漁協による放流で、沢山の釣人を楽しませてくれていました。しかし、長良川河口堰が稼動した翌年から、そのアユが釣れなくなったのです。「最新式の魚道を設置しており、遡上の妨げにはならないはずだ」との説明があったそうです。

しかし近年、その長良川が、最上流の郡上漁協から一番下までの漁協の方々の協力で、復活したのです。親となるアユを瀬張り網で獲り、卵を搾り、精子を掛けてシュロに付けたものを、長良川河口堰の横にある人工河川に沈め、時々ドロが掛かっていないかどうか交代で監視するなどして、受精卵から仔魚が孵るのを見守ります。生まれた仔魚は、人工河川を下り伊勢湾へ。翌年の稚魚は、魚道を遡り最上流の白鳥まで遡上します。そして10月でも沢山の釣人が、川で鮎釣りを楽しむことができるようになったのです。

  

・最上流の郡上漁協から最下流の組合員が協力し、親魚を確保して人工受精させ、シュロ

 の毛に付着させ、長良川河口堰脇の人工河川に放流、放流用の親魚にも利用します。

  

・人工河川に遮光ネット(紫外線防止)を張りロープにシュロを結び、日2回ドロ落としの作業を行う。

4.有田川の取り組み

 放流アユに頼っていた漁協が、天然遡上アユに望みをかけ、網漁を禁止して親魚を増やす努力をした結果、10月になってもアユが釣れる河川に変貌しました。組合員の方々が、網漁をやめる決断をされたと聞いた時、正直驚きました。親アユを増やすことで遡上するアユを増やすという取組みは、冷水病に強い海産アユが遡上する事で、鮎釣りの対象となる追いの良いアユが釣れるということにも繋がります。また、海から遡上するので、魚体は流線型になり、尾は大きく広がり、力強く泳ぎます。その為、竿を引き回すくらいの釣りが堪能できるのです。

5.産卵床造成へ

5.1.祇園水門 

4月ごろ、仕事で太田川放水路の左岸側土手道路を車で走っていると、観音辺りの岸辺を真っ黒い集団の魚が泳いでいました。すぐにアユの遡上でないかと思いました。しかし、その上流にある祇園水門の左岸側には、ゲートを潜れないアユを食べる為に、沢山の鳥が集まっていました。私の太田川での取り組みは、その時、太田川漁協に連絡をし、太田川工事事務所(当時)に相談したことから始まります。当時の祇園水門のゲートは、常時3門とも7cm開いていただけでした。上流から流れ込む水の勢いで、稚魚がくぐる事がすぐに出来ず、その間に鳥に食べられていたのです。

太田川工事事務所(当時)の所長さんと副所長さんに、放水路での出来事をお話しし、アユの遡上時期と産卵時期に祇園水門を全開してもらえないかとお願いした結果、下の太田川内水面漁協の了承があれば可能という返事を頂きました。太田川漁協に相談したところ、後の交渉はやりますと言われたのでお任せする事になりました。

その結果、右岸側の水門一基を30cm常時上げると言う事になり、祇園水門に沢山いた鳥は一羽もいなくなりました。

 

5.2.天然遡上の調査

太田川工事事務所(当時)にお願いすると同時に、広島県水産課へ行き、天然鮎の遡上調査情報を聞いたところ、以前は調査していたが今はしていないとのことでした。私が天然遡上にこだわる理由は、冷水病が原因で放流しても全く釣れない、打つ手が全くない状態の時、友人の四万十川の釣人から、天然遡上の海産アユは、冷水病になって見えなくなっても、当分経つと釣れ始めると聞いた事によります。昔、アユの養殖が確立されていない頃、太田川においても、受精卵の放流を行っていたようです。太田川にアユを取り戻す為、天然遡上のアユを増やす為には、その昔ながらの方法も一手ではないかと思うのです。

太田川漁協に於いては、親魚放流事業を継続して行っています。しかし、流下仔魚や遡上調査は単年度においてはされたようですが、今はしていないと聞いています。出来れば、産卵場における受精卵の調査と共に、流下仔魚の調査と遡上アユの調査を行い、親魚放流の効果の検証をして頂きたいと思います。

 

5.3.産卵場造成工事

20101020日安佐北区口田南と安佐南区東野の間(通称:ヤナギ)にかけて、産卵場造成工事が行われました。天然アユを増やす為には産卵床の造成が必要なので、技術指導にあたる専門家の『たかはし河川生物調査事務所』の高橋勇夫博士への技術指導料は、財団法人日本釣振興会がお支払いし、工事に使う重機の手配と川底をならす人員の手当ては、太田川漁協前組合長西田さんにお願いしたところ、快く受けていただきました。ダムや堰が無かった頃には、台風や大水により増水した川の水が、川底の石の間に溜まった砂やドロを綺麗に洗い流してくれていました。しかし、上流に出来たダムの水量調整、高瀬堰による水量調整により、底を洗うような大水が少なくなりました。その為、産卵場付近の河床は砂に埋まり、石には藻が生え、産卵には不適切な環境になってしまいました。重機に頼らないと川底を掘削出来ない程、固くぎっしりと砂と石が詰まっており、さらに、石は漬物石程度のものが多く、鮎の産卵に適した1cmから握りこぶし程度の石は僅かでした。掘削後、人力で大きな石を取り除くと、周りにあった砂がサラサラと流れていきます。その後、一列に並んで川底を踏みしめながら下り、そうする事で川底の石が安定し、アユが産卵できる環境になったのです。

 

5.4.産卵について

 1020日の掘削工事前に高橋博士が潜って調査された際、すでにアユの産卵が始まっていました。手にされた小石には、数粒のアユの卵が付いていました。産卵が始まっているのに、その場所を掘り返す行為は良くないとの意見もあり、2011年の産卵床造成工事は重機を入れず、鍬などで整備する予定でしたが、降雨の影響による増水で中止となりました。実際、この時期の海水温が近年高く、産卵して海へ下っても、海水温が以上に高い状態では、仔魚が生き残る確立は皆無と云われており、その効果は期待できるものではなかったかもしれません。

アユの産卵は、数回に分けて行われます。災害で万一卵が失われても、次の産卵で自らのDNAを残す、自然の摂理ともいえる知恵があるのです。産卵に適した石は、アユ自身が尾で産卵場を作り、石の隙間に生みつけられるサイズです。瀬付きアユを掛けるように石の表面だけを綺麗に磨いても、産卵床を作った事にはなりません。産卵した卵が全て石に付くように石を磨く為には、重機に頼る必要があるのです。

産卵に適しているのは、瀬付きといわれるような流速がある場所です。また、産卵の時期は、10月中旬から1月頃までといわれています。

太田川のアユがどの時期まで産卵するのか調査し、それに合わせた造成工事をする必要があります。

 

5.5.流下仔魚について

 卵から孵った仔魚は、川の流れに乗って河口へ下ります。自力で泳ぐ能力は少なく、水面下を漂うように下ります。しかし、お腹にある養分が尽きる3日以内に海まで辿り着かないと、死んでしまいます。途中に遮る障害物があると、うまく泳ぐ事の出来ない仔魚は、下る事が出来ません。長良川の河口堰では、遡上ができても流下仔魚が堰を超える事ができず、稼動した翌年から鮎漁が大不漁となったのは、そういった理由があったと考えられています。海に下った仔魚は、プランクトンを食べ、なぎさ周辺で過ごします。イワシのように集団行動で身を守り、遡上時期を待ちます。広島湾にはなぎさが無いので仔魚は育たない、天然遡上のアユを目指しても無駄といわれた事があります。確かに環境的には、良い環境とはいえません。しかし、東京湾で育った稚鮎が、多摩川に遡上しています。伊勢湾で育った稚魚が、長良川に遡上しています。大阪湾で育った稚魚が、淀川を遡上しています。広島湾だけが、駄目だと言われる根拠はありません。なぜならば、広島城のお堀に沢山のアユが遡上した事例があります。その年は、アユが沢山釣れたと記憶しています。一度でも事例があるのですから、駄目と言う根拠にはあたりません。

 

6.琵琶湖産アユについて

 今年、奈良県吉野川に、安曇川に遡上した天然遡上の琵琶湖産アユが放流されました。例年、琵琶湖産アユを、放流していましたが、不漁が毎年続く状態でした。今年の解禁前はアユの姿が見えていましたが、解禁日には見えなくなっていました。冷水病に罹ったのです。今年もか!思っていたところ、7月の終わり頃から、突然鮎が掛かり始めました。何年ぶりかに竿が曲がったと、大喜びしたのもつかの間、大雨が近畿地方を襲いました。そして、水が引かないうちに、大災害となった台風に再び襲われてしまいました。最終結果は出ずじまいでしたが、追いのあるアユが冷水病に耐え、生き残っていたのは事実です。冷水病になった原因は、ダムの放水の温度が原因といわれています。「高い水温の上水放流により、早めに冷水病が発生してしまった」(冷水病発生温度17度〜23度)と言う意見が、あります。

しかし、今年のアユは、追いの良い琵琶湖産アユの特徴を示したのは事実です。池育ちの琵琶湖産アユを放流していた吉野川。竿釣りに掛からないが、終盤になって網では掛かっていた。何故か、太田川の状況と似ています。

7.人工産アユについて

人工産の特徴は、琵琶湖産アユでも海産のアユでも一緒。養殖池での集団生活が長く継承され、放流されても、養殖池同様に集団行動をします。石に付かず集団で移動しながら石を食んでいます。卵から孵り、丸い養殖池でエサを与えられユックリと泳いでいるアユが、自然界の川に放流しても、まともに泳げるはずがありません。瀬にアユがいなくなったのは、それが原因ではないかと云われています。冷水病に強いアユを目指した結果、本来のアユの性格を失い、ストレスを感じないアユになってしまったのです。

しかし、長良川に放流する人工産は、受精卵放流と同じF1です。冷水病が発生し、一時期釣れにくくなりますが、復活して追いの良いアユになります。

琵琶湖産アユは、釣人の要求で沢山放流する必要がありました。昔通りに一番鮎、二番鮎を放流していては、全国の河川に放流する数量が不足します。その為、11月から12月にかけて、船から網で獲ります。そのアユを中間育成で大きく育て、全国に販売します。琵琶湖産アユには、琵琶湖で生まれその後は養殖池育ちのアユと、本来の琵琶湖に注ぐ川へ遡上した天然遡上アユとがいるのです。

 

8.川鵜対策について

 保護鳥から外された鵜は、狩猟期に撃つ事が出来ます。また、県知事の許可があれば狩猟期間を過ぎても駆除する事が出来ます。鵜がなぜ増えるのかといえば、エサが豊富にあることと、開発工事により天敵となる猛禽類が激減した事によります。エサが豊富というのは、稚魚放流を行っているからともいえます。放流間もない稚魚は、集団で流れのない場所で過ごします。川鵜にとってとは、格好の餌場です。一回に食べる量は、尺のヘラブナ2匹程度です。アユの稚魚に置き換えると、何匹に相当するでしょう。2011年11月12日午前7時太田川放水路において、200匹ちかい鵜が、川を真っ黒にしてエサを探していました。その数の川鵜がアユを食べたら、何日で放流アユを食べ切るか想像してください。

川鵜への対策として、@川にナイロン糸を張り巡らす A案山子でおどす B散弾銃・空気銃等の銃器で駆除する C巣の卵をドライアイス、石鹸水などで処理して鵜の増殖を防止する D生餌にハリを付け泳がし釣りで駆除する 等の方法が各河川で行われています。一・二羽の鵜だからといって油断していると、放流したアユはいなくなります。

 

9.太田川に天然アユを復活する為には

@     有田川と同じく、網漁をやめて親魚を増やす。

A     長良川と同じく、冷水病に打ち勝って生き残った親魚を使い、受精発眼卵を放流する。

B     放流する稚魚の親魚は、Aと同様のものにする。

C     産卵床造成は、重機を使って毎年行う。

D     増水時に、魚の避難場所となる淵を再生する。

E     川に蓄積した砂の撤去など、河川改修工事を行う

F     祇園水門と大芝水門を改修する際は、人工河川・魚道の併設をお願いする。

G     産卵時期となる11月と12月は、祇園水門を全開する。(大芝水門は常に全開)

H     川鵜被害を防止する為、広島県全体(海も川も)で駆除活動を行い、防鳥ラインを張り巡らす。

I     川鵜のねぐらを造らせない、見つけたら取り除く(広島県全体の海も川も)

太田川を元の自然に戻すことは、もはや出来ません。行政、太田川水系全体の組合、中国電力など河川利用企業と、釣人みんなの知恵と汗とで、魚が自然に遡上できる環境、自然増殖する環境を、私達は、子や孫(未来の釣人)に残す努力をしていかなければなりません。

提案:河口堰の構造を、河川を直角に仕切るのではなく、斜めに仕切ることができないだろうか。遡上の際仔魚は、壁に添って泳ぎます。
幾ら立派な魚道を作っても、魚が理解しないと上りません。流下仔魚も漂って下る程度の泳力では、水門を30cm開けている程度では、潜って下る事など不可能に近い事だと思います。河口堰を斜めに仕切り、魚道幅の半分の間隔でも河口堰の両側を開放すれば魚は自由に行き来できます。魚の行動を理解し、税金を有効に使って頂きたいと思います。



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